日本進化論 (落合陽一、SB新書)
「超高齢化」「人口減」、これは撤退戦である。その撤退戦を日本はどう戦うべきか?その手法として著者は「ポリテック」という造語を掲げる。
「フィンテック」が「ファイナンス」と「テクノロジー」であったように、「ポリテック」は「ポリティクス」と「テクノロジー」の造語である。
つまり、政治的な課題を、AI、テクノロジーを使って解決しよう、というアプローチである。
高齢化社会という撤退戦は、日本に限ったことではない。高齢化社会で経済成長は実現できないのかというと、そうでもない。デンマークが似たような人口構成比とのこと。
しかし、デンマークは2000年以降もGDPは安定して伸びている。その理由として挙げられるのは、産業構造の転換と行政の効率化らしい。日本が製造業が主体だが、デンマークでは主要産業を流通・小売業へと転換し始めている。つまり、ゼロからものをつくる産業ではなく、既存の製品に価値を付与する産業へシフトしているということ。そして、テクノロジーを活用した政府運営の効率化も進んでいるとのこと。
しかし、日本の社会保障費の問題の本当の根底は「シルバー民主主義」であると、落合氏は述べる。60歳以上が有権者の4賄賂占めるといういびつな構造だということ。彼らは「テクノロジーに投資します」というよりも「介護保険料を安くします」と言ったほうが、受けいれられやすい。残りの人生が短い高齢者には、数十年先の未来の問題について考える動機づけが少なくなってしまうことがしばしばあるのではと喝破する。
世界的に見て、日本は大規模な予算があるにもかかわらず、未来に投資せず、シニア層や残債払いの過去に投資してしまっていることを指摘している。
ともかく、この撤退戦の現実をどう認識するか、そしてそれに対してAI、テクノロジーを使ってどのように解決していくべきか、詳しくは本書を読まれたい。
願わくは、本書を読んで若者がもっと声をあげるべきかと思うが、実際に読んでいるのは、私も含めたおじさんたちのような気がする。
お父さんの落合信彦は、若者に圧倒的に支持されたが、おじさんからは無視された。落合陽一はおじさんから支持されているが、若者からはどうなんだろう。
インド夜想曲(アントニオ・タブッキ 須賀敦子訳)
インドというのは、自分探しをしたり、失踪したりする国なのだ。
本書は、「失踪した友人」を探すヨーロッパ人の話である。インドで失踪……その友人を何のために探すのか、その友人と過去にどんなことがあったのか、などなどよくわからないが、それはあまり関係ない。主人公は貧民街のホテルに泊まり、友人の恋人を見つける。
そこから、断片的なヒントを見つけては、探す旅を続ける。その途中に、不思議な子供の占い師に不思議な警句をはかれたり、死にに行こうとしている人との邂逅があったりするのだが、そのエピソードひとつひとつが何か心に刺さる。
しかし、本書はミステリーとか、そういったジャンルに属する本ではない。そう思って読み進めると、きっとがっかりす。どちらかというと内田百閒「サラサーテの盤」のような幻想小説である。
文体も、不思議な静けさにあふれ、あまり抑揚はない。しかし、どんどん物語に引き込まれてしまう。しかも何度も読み返してしまう迷宮にはまりこむ。
かくいう私も最初に読んだのは、今から30年前だ。そこから不思議な魅力にとりつかれ、定期的に読み直し、読み直す度に新しい発見をするという文字通り「愛読書」である。
しかも、作者のアントニオ・タブッキが、なぜか同じイタリア人作家のディーノ・ブザッティと常に混ざる。タブッキの本を読もうとして、ブザッティを探しており、その逆もだ。なぜ、まざるのかよくわからない。それ自体がタブッキの「罠」なのかもしれない。
ともかく、人生に疲れた時に、何か人生の迷い道に踏み込んでしまった時、本書はヒントを与えてくれる。また、そういう時でないと本書の価値はわかりにくいと思う。
雑誌「ユリイカ」に作者タブッキと訳者須賀敦子さんの対談がある。それによると、タブッキはこの本を出した時に、イタリアの大学の文学教授に「この小説はなにも語っていない」と言われて、タブッキはこの批評がいたく気に入ったそうだ。なぜなら「無を語るなんておよそむずかいいことだから、自分はよほど優れていたのだ」と思ったからだそうだ。まさに、そんな小説である。
表現の技術(高崎卓真 朝日新聞出版)
エドガルド・モルターナ誘拐事件
カフカの「審判」とカミュの「異邦人」をまぜて、ちょっとヘビーになった不条理な物語だ。
すいません。ほぼ日の経営(聞き手 川島蓉子、語り手 糸井重里)
セゾン 堤清二が見た未来 (鈴木哲也)
現在の二大流通グループといえば、セブン&ホールディングズ、イオンだが、
しかし、ダイエーは名前すらも消えかけているが、
セゾングループはセゾン他社に買収されながらも、しぶとく生き残っている。
無印良品、ロフト、ファミリーマート、西武百貨店、西友、パルコ、……
ダイエーの手がけたものは消えつつあるが、
セゾングループの手がけたものは、残っているどころか、
大きく花開いているものもある。
先見性などの違いではないだろうか。
しかし、その先見性を持ちつつも、なぜ解体の憂き目にあったのか、
それを読み解いていくのが本書である。
堤清二の先見性とはこういったものだ。
「ものがあふれる時代になると、次は時間商品が重要」
(無印良品立ち上げの際)
「生活の要求の多様性、意義のある生活を送りたいという願望、生活の知恵を得たいという願い、そういう人びとの要求に応えるように売り場が作られ、商品が提供されているということ」
(1975年の社内報。これがロフトやリブロ、WAVEにつながっていく)
「店をつくるのはなく、街をつくれ」
(1985年、西武塚新店)
そして2011年には、著者にこう語っている。
「これから怖いのは、再編や寡占化が進んで産業界の多様性がなくなること。それと統制経済で自由が失われることだと思います」
堤清二と中内功の大きな違いは、先見性、ビジョンであったのではないかとも思われる。
そして、先見性を持ちながらもセゾングループが解体してしまったのは、次から次へとお金を貸しながら、バブルがはじけると、一斉に引き上げようとした銀行に優良企業から売られてしまったことが、最大の原因のように思える。
ただ、本書で扱われているのは、堤清二の表の顔に過ぎない。
本書には書かれていないが、セゾングループ内には伝説があって、堤清二に関わるとろくなことにならないと言われていて、あえて距離を置く人たちが多かったという。
そして、本書で扱われていない非上場の堤清二のトンネル会社の存在なども考慮すべきだろう。
ただ、それらを割り引いても、堤清二の先見性、今後の時代を生きるヒントが、この本に書いてある。
地面師(森功)
「地面師」の文字を新聞などでよく見かけた。
しかし、実体がよくわからなかった。
他人の土地を勝手に売って、しかも騙される金額が桁違いな上に、騙される側は一般人ではなく上場企業だ。
このニュース自体はあまり注意していなかったが、よく考えると不思議な事件だ。
なぜ積水ハウスやアパグループのような超一流会社が、たかが詐欺師集団にだまされるのか。
それは一体、どういう事件で、どのようなからくりなのか。
突然、気になってしまって本書を買った。
まず地面師というのは、生きているか、死んでいるか、よくわからないような地主のふりをして、人に土地を売ってしまう詐欺師である。
彼らは銀行、司法書士、不動産屋といったプロたちを相手に、何度も面接や、稟議書、手続きを踏んでいるにも関わらず、だまし通す。
その話は読んでいて痛快というよりもちょっと気味が悪い。
でも、ぐいぐいと引き込まれてしまう。
なんせ、大手企業がコロッとだまされたのだ。
積水ハウスは55億円をだましとられた。
金額が大きすぎて、オレオレ詐欺などは小さくかすんでしまうほどだ。
映画「オーシャンズ11」は150億円をだましとるフィクションだが、これはノンフィクションでありがなら、その1/3に近い。
チームの組み方もオーシャンズ11なみにすごい。
ちなみに構成はこんな感じだ。
地面師:主犯格、ボス
手配師:なりすまし役を見つけてきて演技指導もする
印刷屋:パスポートや免許証の偽造をする
銀行屋:振込口座を用意する
法律屋:弁護士や司法書士
取引自体は、複数のペーパー会社などをかまし、
だましとったお金はすぐに散らしてしまうので、まず戻らない。
過程にたくさんのグレーゾーンがあるから、警察も立件しにくい。
したがって、案外、逮捕されてもいないし、つかまってもすぐ釈放されている。
不動産屋の知り合いに聞いた話では、地面師自体は、最近の流行ではなく、昔から棲息しているらしい。
そして、出没するのも本に書いてある通り新橋とか池袋とかが多いようだ。
彼によると積水の事件は、どうも積水社内の派閥争いとのこと。
相手の派閥を出し抜こうとして、決裁を急いだりしたために、地面師の思う壺にはまってしまったようだ。
大手企業までだまされてしまうこのスキーム、防衛のためにも知っておいて損はないと思う。