インド夜想曲(アントニオ・タブッキ 須賀敦子訳)

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インド夜想曲アントニオ・タブッキ 須賀敦子訳)

インドというのは、自分探しをしたり、失踪したりする国なのだ。


本書は、「失踪した友人」を探すヨーロッパ人の話である。インドで失踪……その友人を何のために探すのか、その友人と過去にどんなことがあったのか、などなどよくわからないが、それはあまり関係ない。主人公は貧民街のホテルに泊まり、友人の恋人を見つける。


そこから、断片的なヒントを見つけては、探す旅を続ける。その途中に、不思議な子供の占い師に不思議な警句をはかれたり、死にに行こうとしている人との邂逅があったりするのだが、そのエピソードひとつひとつが何か心に刺さる。


しかし、本書はミステリーとか、そういったジャンルに属する本ではない。そう思って読み進めると、きっとがっかりす。どちらかというと内田百閒「サラサーテの盤」のような幻想小説である。


文体も、不思議な静けさにあふれ、あまり抑揚はない。しかし、どんどん物語に引き込まれてしまう。しかも何度も読み返してしまう迷宮にはまりこむ。
かくいう私も最初に読んだのは、今から30年前だ。そこから不思議な魅力にとりつかれ、定期的に読み直し、読み直す度に新しい発見をするという文字通り「愛読書」である。


しかも、作者のアントニオ・タブッキが、なぜか同じイタリア人作家のディーノ・ブザッティと常に混ざる。タブッキの本を読もうとして、ブザッティを探しており、その逆もだ。なぜ、まざるのかよくわからない。それ自体がタブッキの「罠」なのかもしれない。


ともかく、人生に疲れた時に、何か人生の迷い道に踏み込んでしまった時、本書はヒントを与えてくれる。また、そういう時でないと本書の価値はわかりにくいと思う。


雑誌「ユリイカ」に作者タブッキと訳者須賀敦子さんの対談がある。それによると、タブッキはこの本を出した時に、イタリアの大学の文学教授に「この小説はなにも語っていない」と言われて、タブッキはこの批評がいたく気に入ったそうだ。なぜなら「無を語るなんておよそむずかいいことだから、自分はよほど優れていたのだ」と思ったからだそうだ。まさに、そんな小説である。